1995年春ムンバイに引っ越しHello, Mumbai!-インドの想い出1

インド生活の思い出

Hello, Mumbai! 20代で「マダム」と呼ばれて

これからお話するのは1995年-日本が1月17日に阪神淡路大震災、3月20日に地下鉄サリン事件を経験した年に始まる、インド駐在生活で体験したことです。

私はその春、(当時の)配偶者の海外駐在に帯同し、インド・ムンバイへ引っ越しました。

何もかも日本とまるで違う国で、私は本当にいろいろな体験をすることになったのです。

その思い出話をこれから時々(不定期に)、書いていこうかと思います。よろしければお付き合いください。

今日は、引っ越した時の住居とメイドについてお話します。

1995年春、インド・ムンバイの3LDKマンションへ

当時、会社が借りてくれていた住居は3LDKで、その他にメイド専用の部屋もある、日本で言うマンション(英語ではアパートメント)でした1

30階近い高層マンションの8階、床は大理石です。住民専用プール(使ったことは一度もありませんが)や、散歩道のある庭がありました。

建物の入り口には踏切のようなガードがあり、警備員が立っていて、出入りする人間を警備・監視しているようなマンションです。

私たちの住居の専有面積は150~160平米くらいで、3LDKのうち、3部屋の広さは8~12畳くらい。

すべての部屋にバスルーム(トイレとシャワー付バスタブ)が付いていました。

LDKの方は広さで言うと、30畳くらいはあったように記憶しています。

6、7畳ほどのダイニング、18~20畳ほどのリビングに、7、8畳ほどのバルコニー(リビングから続く出窓がそのままバルコニーになったような、屋根と窓のある半円形に張り出した空間)が続いていました。

窓から見えるのはミルクティ色のインド洋です。

これだけ聞くと、とても贅沢で余裕がある、きらびやかな生活を想像なさるかもしれません。

しかし着いて早々、私は様々な洗礼を受けました。

まず住居です。

天井の蛍光灯は切れているし、ソファの生地は綻びているなど、広いけれど手入れがかなり必要な状態でした。

それらの修理や、カーテンなど足りないものの調達は自分たちで手配します(修理代などは会社が負担してくれていたようです)。

そして次の洗礼は日本人コミュニティです。

着いた翌朝早く、夫の上司夫人がお見えになりました。

恐らく異国に着いたばかりの若い妻であり小さい子どもの母親である私を心配して、様子を見に来てくださったのだと思います。

しかし長い子連れフライトの後、インパクトの強いインドの姿を初めて目の当たりにして、戸惑いと疲労でふらふらしていた私は、上司夫人の前触れのない訪問に、さらに動揺してしまいました。

幸いにして、とても優しい方で、その後も何くれとなく気に掛けてくださり、大変ありがたかったのですが、私の方がまだ若すぎて、すっぴんでドアを開けることすらためらうほどだったのです。

その後のインド生活では、夫の会社の方々を始め日本人コミュニティは、私にとって有難くも、時に試練となりました。

会社の寮で生活している方などには、どんな雰囲気かなんとなく想像していただけるかと思います。

メイドは駐在員のインド生活に必須

加えてメイドです。

当時、ムンバイに駐在している日本人家庭はほぼ100%、インド人のメイドを雇っていました。

支店長宅では、2人のメイドの他に、サーバント(使用人のまとめ係)やコックも雇っていました。

インドはご存じの通り、公用語が多数あり、インド人同士でも使う言語が違うことがあります。

そして、ご想像いただけると思いますが、当時は特に、インドでの生活は日本と比べると不便なことが多く、そんな中で日本人家庭が生活するには、英語が話せるインド人メイドが必須でした。

たとえば上記のように、住居内で故障やトラブルがあった場合、修理に来てもらうのにも、英語が話せるメイドがいなければ言葉が通じません。メイドの存在は不可欠です。

恐らく今でもその状況は変わらないのではないかと想像します。

我が家では先に現地入りしていた夫が、すでに人から紹介されて、10代の女の子をメイドとして雇い入れていました。

想像してみてください。

人を雇って使ったことなどない平凡な日本人20代主婦が、生き馬の目を抜くムンバイのインド人相手に、うまくマダムを務められるでしょうか。

恐らく最初は、どこのご家庭の奥さんにも葛藤や戸惑いがあると思います。

おまけにそのメイドは住み込みです。

メイド用の部屋には鍵が掛けられるとはいえ、四六時中、同じ居住空間の中にいるわけです。

もっと詳しくご説明すると、メイドの部屋は、キッチンに続いていて、メイド部屋にもベッドルームの他にシャワーとトイレがありました。

外からの入り口(玄関ドア)は私たちと別になっていて、私たちの住居部分とメイドの部屋の間のドアは、どちら側からも鍵が掛けられるようになっています。

そこに住み込みで働いてくれるメイドを雇ったのでした。

少し話がずれますが、私たちの使うバスルームとメイドのそれとはだいぶ様子が違いました。私たちの方は、いわゆる洋式トイレで日本でもよくある形です。メイドの方は、あまりじっくり見てはいないのですが、和式スタイルに近かったように記憶しています。そしてバスタブはなく、シャワーもシャワーヘッドが固定されている形でした。

恐らくインド人から見たら(というより、メイドから見たら)日本人はとてもお金持ちです。

着いて早々、私は、メイドにしてやられました。

朝食のためにバナナ1房を買ってきてほしいと頼むと、

「じゃあ、10ルピー(当時のレートで約30円)下さい」

と言って彼女は出て行きました。

しかしそれっきり1時間経っても2時間経っても戻ってきません。

やっと帰ってきた彼女にしびれを切らして

「遅かったね」

と言うと、

「マダム!ご存じないと思うけど、バナナはとーっても遠くに売っているんですよ!そこまで行くのは、ほんっとうに大変だったわ!」

そうか、じゃあ仕方ない。ありがとう・・・。

しかし後に知ったのですが、本当はバナナは1房10ルピーもしないし(1~3ルピーくらいだったと思います)、ガードマンが立っているところを出ればすぐに、屋台が売りに来ています。

まんまと最初から、騙されてしまったというわけです。

そんな嘘も見抜けないくらい、何も知らないまま、私は「マダム」と呼ばれることになってしまったのです。

 

(気が向いたら)インドの想い出2へつづく。

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