コルドバ1990年ヨーロッパひとり旅 28 Córdoba: Solo-travel to Europe in 1990

1990年2ー3月ヨーロッパひとり旅

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コルドバ Córdoba スペイン

翌朝(3月16日)は7時に起きて、8時過ぎには列車に乗り、コルドバへ向かった。

列車の中で、空いている席を見つけて、隣の男性に座ってもよいかと尋ねて座る。彼は旅行者のようだ。年は30歳くらいだろうか。周りには、まだ若い軍服姿の集団もいた。

列車に揺られている間に、隣の男性と会話をするようになった。ドイツから来た人で、アンダルシア地方を中心に旅しているという。

「君は日本人?」

「そうです」

「日本語は難しいね。ドイツ語とは系統が違うから。僕は、英語も話すし、スペイン語も勉強したけど、日本語はダメだ」

「でも、3ヶ国語も話せるなんてすごい」

前の席にいた軍服の青年が、タバコを手に振り返り、彼に

「どう?」

と勧めると、彼は

「いや、結構。手巻きタバコを持っているから」

と答えた。

「手巻きタバコ?」

「ああ」

彼は見ている間に、薄い紙でタバコの葉を器用にくるむと紙の端を舌で湿して閉じ、一本の紙巻きタバコを作って、軍服の青年に手渡した。青年は嬉しそうにそれを仲間に見せている。

「君は日本のどこに住んでいるの?」

「東京」

「東京は大都市だってね。僕はひとつ、不思議に思っていることがあるんだ。

どうして日本の若い人は、こんなに遠くまで、それもたくさんの人たちが旅行に来られるの?ヨーロッパの人々に質問してみるといいよ。

年を取った人でさえ、日本のような遠くの国に行ったことがあると答える人なんてとても少ないよ」

「うーん、まずね、大学を卒業して就職すると、長い休暇はなかなか取れないの。だから今のうちに行っておく。

それから、ヨーロッパまでの往復の航空券は安ければ15万円くらいで買えるし、アルバイトすれば、バックパッカーがこちらで1ヶ月旅行するのに困らないくらいのお金は作れる。だからだと思う1

そんなふうに、いろいろなことを話しているうち、列車はコルドバに到着した。

駅前で彼とは別れ、ホテルを探す。

安いだろうとたかをくくっていたが、結構高い。

やっと見つけた部屋はビルの6階で、重い荷物を背負ってせっせと上った。

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チェックインを済ませて2、部屋に荷物を置き、外に出ると、まず両替だ。

しかし、銀行はすべて閉まっている。

しまった、スペインタイムを頭に入れていなかった。

イタリア同様スペインにも、シエスタ(午睡)があり、みんなが午後の休憩をする時間だった。

困ったな。もうペセタはほとんど財布に残っていない3

どこか両替してくれるところはないだろうか。

ユダヤ人街と呼ばれる白い壁の家が立ち並ぶ地域に入って行き、細い道が迷路のように続くところを困り果てて歩いていると、向こうから見覚えのある人が歩いてくる。列車で一緒だったドイツの人だ。

「やあ」

「どこか両替できるところを知らない?」

「両替?」

「もうペセタがないの」

「そこの店で聞いてみよう」

そうして彼は、土産物屋に入り、レストランにも入り、スペイン語でいろいろ訊いてくれた。

そのうち、あるレストランで、主人がひとり、客のいない店内で食事をしていた。

そして、私たちの話を聞くと

「お金はいらないから、何か軽く食べていくかい」

と言ってくれた。

「そうさせてもらいなさい」

ドイツ人の彼と店の主人とが揃って、同情したような困り果てたような顔で私を見ている。

慌てて私は

「ここはカードが使えるようだけど」

と言ってみる。

「使えますよ。どんなカードを持っているの?」

私が差し出したカードを見て、主人は

「これなら問題ない」

とホッとし、ドイツ人の彼も

「なんだ、カードを持っているなら、早く出しなよ」

と少し呆れている。

なるべく使いたくなかったんだよ。

でも仕方がないので、そのカードで食事をすることにした。

ドイツ人の彼は出て行き、私はひとりで食事をする。

食べている私の顔を、主人がじっと見ているなと思っていると

「日本人の顔って、かわいいね」

と唐突に言う4

「指輪をしてるけど、恋人がいるのかい?」

「ええ」

「日本に?」

「そう」

「寂しいでしょ?」

「まあね」

「私もフランスに彼女がいるんだけど、離れていて寂しい。どうだい?寂しい者同士、仲良くやらないか」

「はあ?」

「今夜、デートしようよ。店は10時に閉めるから、それからドライブでもしよう」

相手は父親ほどの年齢である。

まったくラテンの男はまめというかなんというか。

デートのお誘いは丁重にお断りして店を出ると、街並みをぶらぶら歩いた。

メスキータMezquita(聖マリア大聖堂Catedral de Santa María de Córdoba)。785年にイスラム教の寺院として建設された後、1236年からはキリスト教徒が礼拝堂やカテドラルを新設したとのこと。ここでもなぜか中に入ってみなかったようで写真が残っていません。次はぜひ内部を見学します。

トリホス通りからサンラファエル勝利の塔Triunfo de San Rafaelが見えます。この写真の左手がメスキータ、右手にあるのは、Obispado de la diocesis de cordobaローマカトリック教区の建物のようです。

グアダルキビール川Guadalquivirにかかるローマ橋Roman bridge of Córdoba/Puente Romano。2019年現在、Googleで見ると街燈がありません。また橋自体もこの写真より白っぽくきれいになっています。橋の向こうにカラオーラの塔Torre de la Calahorraが見えます。

カラオーラの塔の方から見たローマ橋とメスキータ。

聖ラファエル像。コルドバの守護聖人、大天使ラファエルの像の足元には花やたくさんの赤い蝋燭が供えられていました。この像も、今Googleで見ると、この写真より白っぽくきれいになっています。全体に写真がしょぼいこの旅の中で、お気に入りの1枚です。

ユダヤ人街The Jewish Quarter/Juderia のパティオPatio。毎年5月にこの美しさを競うパティオ祭りが開かれるとのこと。ぜひ今度はその期間に行ってみたいと思います。

白い壁に赤い花が飾られて美しい。

天気もとても良い。

家の内庭、パティオと呼ばれる空間を狭い通り道から覗くことができる。

イメージしていたとおりのアンダルシアの風景だ。

この写真には花の色は見当たりませんが、それでも十分美しく、ため息が出るほど素敵でした。30年前の女子大生が買えたカメラでは、再現するにも限界がありますが・・・。

花の小径Calleja de las Flores Alley。メスキータのミナレット(塔)Torre Campanarioが見える有名な撮影スポット。・・・ですが、次はもっと上手に撮りたいと思います。

ベラスケスボスコ通りCalle Velázquez Boscoの突き当り、メスキータの壁に沿って小さな祠のようなところにキリスト像(?)が祀られていました。

良い気分でホテルへ戻る途中、またあのドイツ人の彼にばったり会った。

「これからどこへ行くの?」

「ホテルへ帰るところだけど」

「じゃあ、少しお茶でもどう?」

私たちは、通りにテーブルを出しているカフェの椅子に並んで座った。

私たちが英語で話していると、向かいに座っていた男性が声を掛けてきた。

「英語でしゃべっているね?どこから来たの?」

その男性は休暇でオーストラリアから遊びに来ているのだという。

「一度、日本に行ったことがあるよ。

いとこが日本で働いていてね。久しぶりに会ったら、そいつ、少しだけど日本語をしゃべっていてびっくりしたよ。日本語ってのは難しいね」

とてもおしゃべりが好きらしく、次から次へとよくしゃべる。ドイツについて思うこと、スペインのこと、そして日本人についても話題になった。

「どうして日本人ってのは、じっとしていられないのかね。

例えば1週間の休みなら、今日はこっち、明日はあっちと飛び回っているだろう?

僕らなら、1週間1ヶ所にとどまってのんびりするのに。信じられないよ5

ゼスチャーも大きく、実に楽しそうに話す。ドイツのことを言われた時、ドイツ人の彼が真剣に反論すると「ムキになるなよ」と苦笑していた。

このカフェは彼のおじさんが経営しているとかで、私たちの分をおごってくれたりもした。

途中で彼が席を外した時、ドイツ人の彼が私に尋ねた。

「彼の話、ちゃんと聴き取れてる?」

「うーんと、半分くらいかもしれない」

「それをちゃんと彼に言わなきゃダメだよ」

ごもっとも。

またもや日本人の良くないところですね6

ともあれ、しばらく楽しい時間を過ごして、ふたりとは別れ、ホテルに戻ったのは7時だった。

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その夜シャワーを浴びようとすると、途中でお湯が出なくなってしまった。

せっかくシャワー付きの部屋にしたのにと思いながら、フロントへ文句を言いに行く。

フロントには、昼間のおじいさんとは違う、若い男性がいた。

「お湯が出ないんだけど」

「では、ちょっと見てみよう」

そこまではスムーズに話が進んだがそこからは全然ダメだった。

彼は英語が全く分からない。

私だってスペイン語は分からない。

でも、とにかくお湯も出ないのに、シャワー付き料金は払いたくない。

そう思ってがんがん言い合って、お互いに通じないまま疲れてきたところに、神様が現れた。

あのドイツ人の彼だ。重い荷物を背負って現れた彼に、私はまたも通訳をお願いした。

ホテルの人が言うことには

「自分には『料金を下げる』と言うことはできないから、明日、ホテルの主人が来た時、お湯が出なかったことを伝えよう」

仕方なくそれで了解することにした。

ところでドイツ人の彼がどうしてここに現れたかというと

「知人のところに泊めてもらうはずだったのが、いくら電話しても通じない。

今夜寝る所がないから、仕方なく部屋を取ろうとしてやって来た」

のだった。しかし、あいにく空き部屋はなし。彼はまた重い荷物を背負って階段を下りて行った。

困った時にタイミングよく2度も現れてくれるなんて、本当に神様みたいだわ7

ところが翌日(3/17)、チェックアウトの時に、またもや大騒ぎである。

私は話がついていると思っていたのに、主人は何も聞いていないという。

まったくいい加減なんだから。

挙句に主人はスペイン語でまくしたてるし、私も日本語で

「どうしてお湯も出ないのに、シャワーの分まで払わなきゃいけないのよ!」

と大声で騒いでしまった。

結局、ほんの50ペセタ(70円弱)くらい安くしてもらったが、主人は最後までコインを握ったまま抵抗する。

再び日本語でひと言怒鳴ると、名残惜しそうに返してくれた。

こんなこと、3週間前の私なら到底できなかったと思う。

さて、今日はマドリードへ移動だ。

29 マドリード へ続く)

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