出発‐1990年ヨーロッパひとり旅 1 Departure :Solo-travel to Europe in 1990

1990年2ー3月ヨーロッパひとり旅

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プロローグ:女子大生、ヨーロッパへひとり旅立つ

2018年も暮れようとしている今(2018年12月22日)から29年前の、1989年師走。

私は、大学卒業を控えて、ヨーロッパ旅行を計画していた。

昔話を始めます

1990年2月21日から3月24日の32日間のひとり旅の記録を、これからブログに移していきたいと思う。

当時バブル経済はまだ弾けきっておらず、日本は好景気の中にいて、大学生でも海外旅行がそれほど遠い夢ではない時代になっていた。

大学在学中に小田実さんの「何でも見てやろう」を読み、19歳で初めての海外旅行でアメリカを訪れ、海外を旅することへの憧れが私の中に大きく育っていた。

これから書くのは、沢木耕太郎さんの「深夜特急」などの影響からバックパッカーが流行り始めた頃、ベルリンの壁に東西ベルリン市民が登ったあの日1から数ヶ月後の出来事である。

旅の間、毎日書いていた日記は、2018年12月時点では行方不明なのだが、その日記をもとに書いた原稿がクローゼットに眠っていた。

ここからの記事は、基本的には22歳(あるいはその数年後まで)の私が書いたものだが、29年後の私がところどころ注釈の形でツッコミを入れていきたいと思う。

出発まで

1990年2月21日。

アエロフロート576便が、モスクワを目指し、ユーラシア大陸上空を飛んでいる。

乗客は、モスクワで降りる人の他は、トランジット後パリへ向かう。ほとんどがフランス人あるいは日本人だ。

私もそのひとり。卒業旅行でヨーロッパを1ヵ月かけて旅することに決めたのだ。

狭い機内の乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。

おまけに荷物を強引に機内持ち込みにしたために、足の置き場もなく、仕方なく私はバックパックの上に足を乗せているという有様だった。

ふと指先を見ると、ぎょっとするほど“ささくれ”ができている2

ああ、親不孝しているな。心配しているだろうな…。

母は、この旅行に最初から反対だった。

当たり前だ。年頃の娘をひとり外国へ旅立たせるのに何の心配もしない親などいない。

「何かあったらどうするの?!殺されたらどうするの?!どこかで死んでたって、ひとりで行ったら、こっちは何もわからないじゃない!!3

母が興奮して大声を出すので、思わず受話器を耳から遠ざける。

「大丈夫だよ」

「そんなこと、どうしてわかるの?!お父さんに聞いてごらん。きっとダメだって言うから。お父さん!お父さんたら!ちょっと来て」

「なんだ?」

と父が電話口に出る。

「あのね、お父さん。私、ヨーロッパに行ってこようと思うんだ。ひとりで」

「ああ、行ってこい」

父はあっさり言う。

「お父さん!!」

母が叫ぶ。

「お父さんは、いいって言ったよ」

「よくないっ!お金はどうするの?帰ってこれなくなったらどうするの?何かあったって、お母さんは行ってあげませんからね。死んじゃったってお父さんひとりで行ってもらうんだから!!お母さんは知らないからね」

「そんなに簡単に死なないってば」

「わかんないでしょっ!!!」

こんな調子がまさに出発当日まで続いた。

しかし、今、行っておかなければ、絶対に後悔する。

母の大反対を押し切って、今、私はここにいるのだ。

就職してしまえば、長期の休暇を取ることも難しくなるだろうし4、いろいろな国が隣接しているヨーロッパをひととおり見て回るにはやはり1ヵ月は必要だろうと考えていた。

それまでも、なるべく仕送りを少なくしてもらって生活していたため、アルバイトの収入が即支出となって貯金もろくになかった私は、出発前の1ヶ月はバイトに励み5、旅行日程の計画はほぼ皆無という状態で出発した。

結局、アルバイトで稼いだ15万円に加え、当時の(その後、夫となる6)彼から15万円を借り7、何かと心配して「お金は少ないより多い方がいい」という両親からもありがたく10万円を頂戴し、合計40万円が出発までに用意できた旅の資金だった。

出発前に整っていた準備は、航空券、ユーレイルパス、到着後第1泊目のホテル、トラベラーズチェック、それからガイドブック2冊という程度だった。

航空券は当初の希望(パリから入ってイスタンブール8から帰国)は叶わず、パリから入ってパリから出るということになった。

最初と最後を同じ街にするのは、1ヶ月ひとり旅をして、また戻った時の自分が受ける印象を試してみるのにいいだろうと考えた。

ユーレイルパスは1ヵ月有効2等車専用で380 USドル(1USドル=150円として57000円9)だった。

購入する時は、ずいぶん高いなぁと感じたが、あとあと非常に役に立った。確かに割安でもあったと思う10

トラベラーズチェックはUSドルを500ドル分、日本円を15万円分、そのほかにフランスフラン11を現金でいくらか用意した。

日程は、2月21日成田を出発し、3月24日に帰国するということに決まった。

荷物は最小限にまとめ、バックパックで旅をすることに最初から決めていた。

それでも荷物は15kgほどになってしまい、出発前に背負ってみるとよろめいて歩くどころではないほどだった12

「卒業旅行はひとりでヨーロッパに行くつもりだ」と言うと、たいていの人は反対した。

皆、口々に、いかに治安が悪いかということを語り、スリ、盗難、強盗、暴行、果ては人身売買の話まで飛び出した。

私自身、事前の知識として持っていれば予防にもなるだろうと、ヨーロッパで実際に日本人が遭遇した事件を集めた本を買って読んでみたが、その内容は真剣に旅行を取りやめにしようかと思うほどであった。

「行かなければ後悔するだろう。でも行ったらもっと後悔するかもしれない」

母は、出発前日まで「もう知らないからね。向こうで何かあってもお父さんひとりで行ってもらうからね」と言っていた。

本当に私にひとり旅ができるだろうか。とても不安だった。

でもどうしても、この目で見て、この足で歩いてみたかった。

「外国」という名前の国があるのだと思っていた幼い頃から写真で見ていた、そとの世界の様子を自分で確かめてみたかった。

それには今しかない。

出発の朝、空港へ向かう途中でも迷っていた。駅のベンチに座って電車を待ちながら、「やっぱりやめようかなぁ」と考えたりもした。

周りの人には「大丈夫!」と胸を張っても、やはり怖くてびくびくしていたのだ。

ちょっと背中を押されたら泣きだしてしまいそうなくらい。

でも今さら後戻りできない。

ここまで来てすごすご家に戻るなんて絶対いやだ。

あとはもう、勢いのように、成田空港の北ウイングへ向かった。

ここから海外へ飛び立つのはこれが2度目である。

1度目は大学1年の春、兄と一緒にアメリカへ行った時だった。

その時は、兄の後をついていけばよかった。

でも今度は自分しかいない。

誰も頼っていられないのだ。

飛行機に乗るまで、私はずっと落ち着かなかった。

見送りに来てくれた彼は「本当に行くの?」と繰り返し聞いて、なんだかイライラしているようだった。

チェックインを済ませ、用意し忘れたものを売店で買い、そわそわしている間に出国手続きをする時間になった。

ここからは本当にひとり。

エスカレーターに乗る足が自分の足ではないようだった。

いけない。もう泣いている。

ゲートに通じる通路に入る前に荷物をチェックされる。

振り向くと、ガラス越しに彼が大きく手を振っていた。

涙があふれて歪んで見える。

振り払うように私も大きく手を振った。

2 パリへ へ続く)

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