パリへ‐1990年ヨーロッパひとり旅 2 Flight to Paris :Solo-travel to Europe in 1990

1990年2ー3月ヨーロッパひとり旅

※初めてご訪問くださった方へ
本稿に関するご案内をご確認ください。

空の旅 ~成田からパリへ~

私が乗ったのは、アエロフロート576便13時発の飛行機だった。

パリには現地時間1990年2月21日の20:35に到着する予定で、約16時間の空の旅である。

途中、モスクワ空港で乗り継ぎをすることになっていた。

機内にて

アエロフロートはあまり評判がよくないと聞いていたが、なぜかは知らなかった。

しかし、実際に利用してみてわかったような気がする1

まず機内が狭い。

狭いうえに何か、におう。

そして狭い通路をロシア人客室乗務員2がのっしのっしという感じで歩く。

彼女たちは、どうも日本人客室乗務員とは雰囲気が違う。

「ハイ、ちゃんと座ったかい?こらこら、荷物はここにしまうんだよ。シートベルトは締めた?じゃ、行くよ」という感じ3なのである。でもまあ、それもお国柄なんだろう。

とにかく私も自分の席(窓側だった)にたどり着き、なかば意地で機内持ち込みにした荷物を足元に置いて、その上に足を乗せ窓の外を見ていた。

機内は左右3列4で、私は左側だったが、隣の2つの席には、大学生の男の子ふたり連れが座った。

搭乗後、しばらくして落ち着くと、隣の彼が「今回は、ひとり旅ですか?」と話しかけてきた。

彼は、H大学のHくんと名乗った。通路側のもうひとりの彼は同じ大学でUくんといった。

一応ふたりは一緒に出発するのだが、最初の目的地パリで数日過ごしたあと、別々のルートをたどるのだという。

Hくんはイタリアの方へ、Uくんはモロッコへ行くつもりだと言った。

Hくんは初めての海外旅行で、Uくんと別れた後が不安だと言い、私がひとりと聞いてひどく感心していた。

Uくんはその行先からもわかるとおり“何でも見てやろう精神”が旺盛で、とことん危険なところを歩きたいと言っていた。

長時間の機内で、私たちは互いに情報交換をし、不安を慰めあった。

機内食は、成田発なら東京で積むということで、はじめの2回はなかなか良かった5

1回目のメインは牛のフィレでデザートのアイスクリームが美味しかった。2回目のメインはチキン。

モスクワで乗り継ぎをしたあと、3回目の機内食が出たが、これがよくわからないシロモノだった。

お肉は、鹿か何かの肉のような気がしたが、そのわきにデンと2切れの物体が添えてある。ナスを輪切りにしたような感じで直径4㎝ほど、厚さも2㎝ほどあったと思う。

「これ、なんだと思う?」

私がナイフでつつきながらUくん6に訊くと、彼はそのうちのひとつを半分に切って、かたまりのまま口に入れた。途端に顔をしかめて言う。

「これ、あれだよ、ほら…ハンバーガーにはさんであったりするやつ」

ピクルスだった。

それにしてもデカい。それも2つも。申し訳ないが私はひと口で遠慮しておいた。

他にはイクラや7、酸味のある硬い黒パンが、これまた酸味のあるバターとともに出されたが、周りを見回すとほとんどの人が多かれ少なかれ残していた。

機内のトイレというのがまたすさまじい。

便器には一応黒い便座がついていたが、これを除菌クリーナーで拭いてみると見事に真っ黒になった。もしかして塗料が塗ってあるのかと思うくらいだ。

そして、トイレットペーパーというよりは薬包紙のような四角い紙が添えられていた。

どんな飛行機のトイレにもヘアトニックの類が備えてあると思うが、このにおいがまたキツい。ドアを開けるとむっと鼻を突き、出るころには体にしみついてしまうのではないかと気が気ではなかった。

まともなペーパータオルが備え付けてあったのがせめてもの救いだろう8

「飛行機、こわい」

私はあまり乗り物酔いをする方ではないし、飛行機が初めてというわけでもないのだが、半分ほど飛んだところで、どうしようもなく落ち着かなくなった。

なぜか、本気で「この飛行機は落ちるのではないか」と思い始めたのだ。

こうなったらもういけない。手は脂汗をかいて冷たくなるし、機内食は喉を通らない。

隣にいたUくんにひたすら「こわい。こわい」と訴えたが、私の不安をよそにふたりはペロリと機内食をたいらげ、呑気にガイドブックを見たり、いびきをかいて居眠りをしたりしている。

「オレが乗ってんだから、落ちないって」

私の方は、自分が今、地上からどれくらいの高さを飛んでいるのか考えるとたまらなく落ち着かない。

「客室乗務員たちは、実は今、危険な状態なのに平静を装っているのではないか」とまで考えた。

でも、ここでもし危ないとしても、自分は何もできない。この“自分ではどうしようもない”という気持ちが不安をより強くしていた。

今思うと、どうしてあんなにこわくなったのか自分でもわからない。旅の途中で知り合った人たちにその話をすると、たいてい笑われた。

「落ちるわけないじゃん」

「そんなに簡単に落ちてもらったら困るよ」

「飛行機は1回落ちるとひどいからねぇ、目立つけど実際そんなに落ちるもんじゃないよ」

まったくだ9

一番説得力があったのは、帰りの飛行機で一緒になった子に聞いた話だった。

「アエロフロートのパイロットは軍隊出身だから巧いんだよ10

私は素直にそれを信じることにして、成田に着くまでおまじないのようにその言葉を頭の中で繰り返していたものだ。

モスクワでトランジット

モスクワ空港の外はとても寒そうだった。人々は本当に毛皮の帽子をかぶっていた。

乗り継ぎのあと、私の隣に座ったのは40代前半くらいの日本人女性だった。パリはもうお馴染みのようで「今回は2週間くらい。ちょっと短いのよね」と言う。

私が1ヵ月でヨーロッパをまわるつもりだと話すと

「それはムリよお。パリだけでも1ヵ月じゃ足りないくらいよ」

と言われた。確かにそうかもしれない。

ひとりというのが不安だった私は、パリの治安についても訊いてみた。

「そうねぇ、そんなに危なくないわよ。ほら、新宿の歌舞伎町辺りだって、夜、女の子がひとりで歩くのはちょっと…と思うでしょ?11どこの国にもそういうところはあるのよ。私はそんなにこわいと思ったことはないわ」

モスクワでの乗り継ぎでは、フランス人らしい人がだいぶ乗り込んできたが、彼らは機内を自由に歩き回り、楽しそうに話をしていた。

15、16歳くらいの少年たちのグループがいて、私は彼らの整った顔立ちを見て、きれいだなぁと見とれてしまった12。とても元気がよく、そのうちのひとりはビスケットの箱を周りの日本人にもつきだして勧めていた。

HくんとUくんは、空港からホテルまでの行き方を相談していた。私もひとりでは不安だなと思いながら、彼らの話を聞いていた。

航空券を手配してくれた旅行代理店で、ホテルまでの行き方を訊くと、答えはこうだった。

「あのー、行けば分かるんですけどね、空港からバスが出てるんですよ、凱旋門まで。

そのバスに乗って凱旋門で降りたら、シャンゼリゼ通りのこの辺にタクシー乗り場があるんで、あとはタクシーに乗って行けば大丈夫です。行けば分かりますよ、ええ」

簡単に言ってくれる。

パリが近づくと、乗客全体がそわそわしてくる。

モスクワから乗り込んできた美しい少年たちは、もう荷物を手元に下ろして、声高に談笑している。

ロシア語、フランス語、日本語とアナウンスが流れ、窓の外にはパリの灯が見え始めた。

暗闇の中に浮かぶ明かりを見ながら、私は心の中でリンドバーグの言葉13を思い出していた。

パリ到着 ホテルへ

結局、飛行機を降りたあと、入国審査を終えて、両替所を探したりするHくんたちに情報提供しながら付き合っていると、もう10時頃になってしまい、彼らがホテルまで送ってくれることになった。

幸い彼らの予約してあるホテルと私のとは地下鉄の駅で4つしか離れていなかった14

ホテル15に着いたときは、もう夜中の12時に近かった。

通りに出ると街燈がオレンジの光を放って、道路脇に停まった古い型のシトロエンが石畳に影を落としている。

人通りはなく、私たちは

「パリだなぁ」

「パリだねぇ」

と妙に感心した。

あまりに遅くなってしまったので、部屋がキープされているか心配だったが、無事にチェックインを済ますことができ、私たちはホテルの前で記念写真を撮って別れた。

私の部屋は5階。

旧式のエレベーターもあったが、なんとなく階段で上る。

廊下の突き当りの部屋は、中に入ると天井が傾斜していて、屋根裏部屋のような造りだった。

まず、ドアに鍵をかける。外から合鍵で開けられることのないように、本で読んだ通り、鍵を鍵穴に差し込んで少し傾けておく。本当にこれで外から開かないのかは疑問だが、初めてのパリで私は用心深くなっていた。

荷物をベッドの上に広げ、シャワーを浴びたあと、靴下などの洗濯をする。

水が日本と違うので泡がよく立たない。

あまりきれいになった感じはしないが、部屋の中にロープを張って干す。

やっと落ち着いて、ベッドの上にうつぶせに寝ころび、一日目の旅日記をつけた。

家へはまだ何も連絡を入れていなかった。

日本は今、朝9時頃だ。お母さん、心配してるかなぁ16

彼は、会社に着いた頃かな17

今日、空港や飛行機の中で出会って言葉を交わした人は5人。

不思議な気分だった。もう二度と会わないかもしれない人たち。

とても疲れて、身体も痛かった。

隣の部屋から何人かの男女の声が聞こえる。何かゲームをしているらしい。

聞こえるのは日本語ではなく、英語でもないようだった。

かなり賑やかだったが、おかげで安心できて、小さめのベッドで、私はいつの間にか眠っていた。

(3  パリの朝 へ続く)

コメント

タイトルとURLをコピーしました